出過ぎた杭になるには
昨日、MITメディアラボの石井裕教授のお話を聞く機会がありました。
「出る杭は打たれる」と言いますが、「出過ぎた杭は誰にも打てない」ものです。
新しいことを本気で進めるのであれば、そこまで徹底すべきだ、とのお話でした。
それは決して簡単なことではなく、やり遂げるには次の要素が不可欠だとのことでした。
Hunger 飢餓状態にまで自分を追い込まないと、自分ならではの新しいものは生まれない。昨今の日本人の弱さはまさにここにある。 Humiliation 打たれても打たれてもへこたれずに「こんちくしょう」と取り組む根性が大切である。 Pride 自分を信じ、自分に誇りと自信を持って取り組むべきである。 Passion 絶えることのない不断の情熱が必要である。
出すぎた杭は誰にも打てない
from Reo Blog
なるほど。
Hunger/Humiliation/Pride/Passion。
「Hunger」と「Pride」は両輪だと思う。
自分はこんなもんじゃねえ!という「Pride」が飽くなき「Hunger」へ向かわせる。
そして、「Humiliation」と「Passion」も両輪で、
絶対これを実現してやる!みたいな「Passion」が「Humiliation」の強さを生む。
なので、「Pride/Passion」が先んじるんじゃないだろうかと思う。
一方で、「Pride/Passion」は自然と生まれてくるものではないと思っている。
本人が意識してようが、無意識だろうが、
試行錯誤だったり、深い思考の中で湧き上がってくるものだと思う。
そして、湧き上がってくるもの。
つまり、「Pride/Passion」の前提として必要なファクターは、
- 自分は何者なのかというアイデンティティと
- 自分はどこに向かっているのかという方向性
なんじゃないだろうか。
それら2点を考えに、考え抜いて、発見する事で
初めて「Pride/Passion」が生まれ、それが「Huger/Humiliation」
へ繋がると思った。
では、どうやって上記2点を理解する事ができるのか?
それは、それらを見つけ、持って突っ走っている人とのコンタクトであり、
そういう人からのヒアリング結果を自分の中で消化し、
自分なりの解を見つける事なのかもしれない。
他人のケースはあくまで他人のケースで、自分とは異なるから。
「人とのコンタクト」はリアルに見つけて、会うだけではなく
書籍やブログを通してでもいいと思う。
たくさんの生き方に触れる事。
これは「出過ぎた杭」になるための、最初のステップなのかもしれない。