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元SIerの今はWebビジネス中心なヒトが日々のトピックを綴ります。

FLASHと共に到来するWeb新時代

最近、FLASHなどもろもろの技術領域について、知識を習得している。


中村勇吾さんの特集を見るちょい前から、「Webデザイン」に強く
興味を持つようになったからだ。
そして、その番組を見て個人的にはある直感を得た。


彼を「新しい時代の先導者


という事。


実際に「ポスト中村勇吾」ともいえる中村勇吾さんのWebサイトに
触発されてWebの世界に入ってきて、とんでもないクリエイティビティを
連発している連中がいる。
電通の中村洋基さんやピクルスのタナカミノルさんら、である。


FLASHにはテクノロジーとデザインの「間」がほとんどない。
更にその機能性はだんだんとeasyになりつつある気さえする。


マクロ視点で見ると、ここ最近は経済合理性の追及から、
日本や欧米諸国など先進諸国は分業化によるプロフェッショナル化を進めた。
そして、どうなったか。


職種間の「間」が欠落し、業務領域を埋める存在が相対的に少なくなり、
それはクリエイティビティの創出に歯止めをかけてしまった。
そこに組織の肥大化というファクターが加わり、HONDAのわいがやや
SONYのシンギなどクリエイティビティを発揮していたはずのものが
予定調和に陥った。


現在は、大前研一の著書によると「米国では,美術学修士号
(MFA: Master of Fine Arts)が,次世代のMBA(経営管理学修士号)
のように評価されている」とあり、アートが以前より注目され始めているそうだ。


経済の飽和を迎え、消費者には「購買要素」として、
デザインが大きく意味を持つようになったからだ。


カルロス・ゴーンも日産の改革の手はじめとして、中村史郎をいすゞ
から引っ張った。
すでに「アート」を最重要視していたのだ。
そして、MARCHやCUBEが生まれ、日産のブランドイメージはSHIFTされた。


が、現場では常にテクノロジーとデザインは対立する。
例えば、自動車では「速さ」を求めるとどこかで
「デザイン(特にエクステリア)」とトレードオフせざるを得ない。
結果、テクノロジーとアートの断絶が起こる。


しかし、FLASHにはテクノロジーとデザインの「間」がほとんど
感じられない。
これは革命的な事だと思う。


そして、中村勇吾の実装方法はテクノロジーでデザインを表現し、
更にそのデザインをテクノロジーでブラッシュアップをかけるという
イテレーションに他ならなかった。
デザインカンプもラフも起こさない。
新しいハッカーの形だと思った。


そして、彼はやはりというべきか「アイデアの創出」に時間をかけている。


1年のうち半年を受託業務から離れたアイデア創出の実験に使い、
テクノロジー⇔デザインの間を行ったりきたりしながら、
試行錯誤し、アイデアを生み出す。


イテレーションに基づき、OUTPUTを行う開発プロセスである。
システム業界でもXPという開発プロセスがもてはやされたり
していたが、彼はまさにそれを実践しているように見えた。
(彼にはその知識も意識もないだろう。自然にたどり着いたのだ)


話を戻して、更にFLASHにおいては、今後にも期待できる点が3点ある。


1点目は、2005年にAdobemacromediaを買収した事だ。
PhotoshopとFLASH/Dreamweaverなどがシームレスに連携するようになった。
(既にCS3でその実装は組み込まれている)
そして、互いの企業文化が融合し、オーサリングソフトには
更なる磨きがかかるだろう。
ましてやAdobeは「AdobeReader/Acrobat」というプリンティングの
キラーアプリケーションも持っているのだ。


2点目は、インフラである。
ITリテラシーが追いついた事とiPod touchNINTENDO DS/携帯電話
などのようにチャネルも増えている。
携帯電話に限っては画面サイズが大きくなり表現の幅が増えた。
システムアーキテクチャもPCに大分追いついてきた感じだ。
FLASH Liteの表現を見ても、「VIDAL SASSOON」のサイトはPCと
ほぼ遜色ない形だった。


3点目は、Adobe AIRだ。
まだ未整備だが、Googleに対抗できるかもしれないなんて期待もある。


以上、上記のようにいろいろとここ数週間で考えていたんだけれど、
ある程度方向性がかたまってきた。


なんか面白くなってきた!