議論と叱責とコミュニケーション
議論
批判のための議論ってのは生産性がないし、チームが
ぎくしゃくしてしまう元だ。
議論を持ちかけるときは「そのGOALに何を設定するか?」
を参加者が理解しているか否かで、結果が変わってくる。
そのGOALが批判だとしたら、まったく意味がない。
何かを成し遂げるために議論を行う。
成し遂げるというGOALに対するプロセスの一つとして
「議論」というプロセスを使うわけである。
叱責
また、部下より自分が優れたように見せるための上司の叱責も意味がない。
叱責のGOALは「その人の成長」であり、「失敗を減らす事で効率の向上」
である。
よって、公然と叱責する必要がなければ、
部屋に呼び出してマンツーで言ってみたり、遠回しな形で気付きを
与えたりする。
みなプライドを持って仕事をしているし、完璧な人間などいない。
得意分野/不得意分野がある。
いや、だから「コーチング」の本読んで、コーチングできるように
なれば世話ないよね?って話で、最初に「人としてどう他人に接すべきか」
を追求する方が大切なんだろうな。
結局、コミュニケーション?
議論をまとめる力や部下の育成力、チームパワーを発揮させる
マネジメント力っていうのは、とどのつまりはコミュニケーション能力に
大きくかかってくるわけで。
組織や人の価値観が多様化し、成果を求められてぎくしゃくしがちな
今だからこそ、その「間」を埋めるコミュニケーション能力って
より重要になってきているのかな、と思ったりした。