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元SIerの今はWebビジネス中心なヒトが日々のトピックを綴ります。

概念の非連続性


ダンプが必要な OS を作った覚えはない


クラッシュダンプというのは、ソフトウェアが何らかの理由で異常終了してしまった際に、
その情報をファイルに書き込むといったものだ。


しかし、Linuxの親・Linusはそれを好しとしない。

「ダンプが必要な OS を作った覚えはない」
これは Linus の積極的な開発スタイルから出た発言だ、ということを、今は理解できる。


クラッシュが起きる OS はよくない OS だという考えが根底にあり、
クラッシュダンプを必要としない理想的な OS を、Linus は本気で作ろうとしているのだ。


少し、Linux の開発スタイルに触れてみよう。


カーネル安定バージョンの最新が2.4であれば、2.4に対してバグフィックスが行われ、
2.6が出た瞬間に2.4のバグのほとんどは解決されている。


そこからまた新たに2.6のバグフィックスが開始され、2.6の安定化をみなひたすら期待して待つ、
というわけだ。


そのため、クラッシュダンプは必要ないという考え方だ。


最初に目的がある。
そして、その目的を達成するための道筋を考える。


だから、そのアクションは必ずしも既存のやり方を踏襲しない。


目的、そして理念がアクションを形作る。
これは原則。


でも、時間が経つうちに、いつしかアクションを行うこと自体が目的化する場合がある。
そのとき、もう一度考えなければならないと思う。


なぜ、それを行うのか?


ある問題に立ち向かうとき、それが既に存在する手法でなくてもそれを考えられる人間。
圧倒的な目的志向。そして、目的からアクションを形作るセンス。
そして、目的を反芻する仕組みづくりを準備する。


そのやり方は、少々過激かもしれないし、周囲の反発を買うかもしれない。
だからこそ、考えるのみならず、その正しさを検証して実証し、説得し、遂行していく力が必要となる。
理想だけでは人は動かない。


LinusはなぜLinuxという一大プロジェクトを成功に収めることができたのか。
その一端がこのエピソードから垣間見られる。