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元SIerの今はWebビジネス中心なヒトが日々のトピックを綴ります。

大企業病と戦う泥臭い馬力

意識的に会社にぶら下がっている人が座っているタイヤをプラス2〜3個引っ張っていかなければならない。
「10個のタイヤを引っ張りながら、沿道の同じ会社の人間の声援を一身に受けながらダート道を猛烈に突っ走る」
という状況に不公平感を強く覚えたりすると、足は鉛のように重くなり、あっという間に失速してしまうので、
横は見ないで前だけをみて突き進まなければならない。


全てのタイヤを取り除くことは不可能であるが、一流の社員のために如何にタイヤを削減し、
道を舗装してあげるかが、正にマネージメントの力量ということができる。


Casual Thoughts - 「一流企業の一流社員に求められる泥臭い馬力」


私も大企業の一員であった者として、これにはひどく同感できた。
自分なりに、前を向いて走っていたつもりだ。
だが、その過程で多くの壁にぶつかった。


そして、マネージメント側も何もしなかったわけではなく、
一生懸命上記に書いてあるような、あるべき姿を目指し努力したが、
なかなかうまくいっていなかった。
よって、決してやろうとしていないわけではない。
(もちろん、それも2:8の法則に基づく)


そう、彼らとて、上記と同じ状況にあったわけだ。
社歴が多くなるほど様々なしがらみがあり、かつ今後を見て「守るべきもの」
のために捻じ曲げないといけないものが多くなる。


だからといって引き下がると組織のためにもならないため、
格闘していた。そのため、多少の軋轢が生じた事もある。


私がエンジニアとして感じていた大企業病とは以下のようなものである。
(戦略、組織構造、人事、イノベーションに関してはもっとたくさんある)

  • 原則より優先された手続き

目的を忘れた手続きを守るために膨大な時間を使う。
そして、それを誰もが当たり前の事だと信じて疑わない。


資格試験や教育などはこれにあたるのかもしれない。
大事なのはスキル・実績があるかどうかであって、資格を持っているかどうかではない。

  • 合意形成のコスト

事前に合意を取るためにヒアリングをし、根回しを行う事にも必要以上のコストを払う。
階層が複数段階あり、かつ価値観をすり合わせるために順々に啓蒙していく必要がある。

  • 役割と責務以上の実行による品質低下、過重労働

実行していく際にも自分に与えられた役割と責務以上のタスクをこなしていく。
それは、明確な役割と責務を与えたとき、困る人が多くいるからだ。
やれる人がいない、振れる人間もアサインされない以上、自分がこなしていく事に必然性が生まれる。


上記のような状況の中で、目標への情熱が失われ、「こんなもんだよ。」となっていく。
これこそが大企業病なんだと思う。


しかし、一方でこういった状況を打破していく事も価値のある事なのだ。
経験しないと分からない事はたくさんあるし、例えベンチャーに入ったとしても
クライアントの多くはこういった大手なのだから。


そして、耳障りはわるいかもしれないし、地味かもしれないが、
多くのプロフェッショナルはこういった現状に満足せず、フルパワーで
現状を打破していった人達なのである。


参考に、大企業病に侵されたIBMを立て直したルイス・ガースナーが披露した
経営哲学と経営方法は以下のようなものだ。

  • 手続きによってではなく、原則によって管理する。
  • われわれがやるべきことのすべてを決めるのは市場である。
  • 品質、強力な競争戦略・計画、チームワーク、年間ボーナス、倫理的な責任の重要性を確立している。
  • 問題を解決し、同僚を助けるために働く人材を求めている。社内政治を弄する幹部は解雇する。
  • 私は戦略の策定に全力を尽くす。それを実行するのは経営幹部の仕事だ。非公式な形で情報を伝えて欲しい。悪いニュースを隠さないように。問題が大きくなってから知らされるのは嫌いだ。わたしに問題の処理を委ねないで欲しい。問題を横の連絡によって解決してほしい。問題を上に上にあげていくのはやめてほしい。
  • 速く動く。間違えるとしても、動きが遅すぎたためのものより、速すぎたためのものの方がいい。
  • 組織階層はわたしにとって意味をもたない。会議には地位や肩書きにかかわらず、問題解決に役立つ人を集める。委員会や会議は最小限にまで減らす。委員会で意思決定する方式はとらない。率直な意見交換を活発に行う。
  • わたしは技術を完全に理解しているわけではない。技術を学ぶ必要はあるが、完全に理解すようになるとは期待しないように。部門責任者は、技術の言葉に翻訳する役割を担わなければならない。

これらの方針は大企業というものの問題点を深く突いている。