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元SIerの今はWebビジネス中心なヒトが日々のトピックを綴ります。

個性を理解する事でコミュニケーションは成り立つ


以前、日経新聞の春秋欄に掲載されていたテキスト。
詳細は忘れたけど、こんな内容でした。

筆者が「同じ科目を勉強させて、受験させといて、何が個性重視の教育だ。」
と言ったところ、友人は「受験で無くなるような個性なら無いほうがいい。
と返した。然りであり、今でもよく覚えている。


個性とはにじみ出るものだと思う。
コミュニケーションにおいては、それぞれの個性を認め合う力が必要。
よって、「調整力」も互いににじみ出た個性を察し、そこに自らの個性を
マージする事で成り立つ。


自分の個性の押し付けは、ただのカンバーセーションだ。
片思いと同じ。
カンバセーションしかしていないのに、コミュニケーションと履き違えたくはない。


「だから、言ったじゃん。」
みたいなのは結果論でしかなく、動かせるだけの熱意やロジックを
持ってこれなかった自分もわるかったんだと理解すべきだ。


自分も今、とある事を関係各所で交渉中なんだけれども、少々不器用で
きつすぎたかもしれないなぁと少し後悔。
でも、そのくらいないとね。
スティーブ・ジョブズじゃないけれども、誰かがレンガでぶん殴らないと
わからないって事もあるだろうから。


前職で新卒時代、豪腕マネージャ(しかも、直属でない)に楯突いたことがあった。
しかも、プログラムの事について笑
今、考えるとマネージャに「それ突っ込むかよ、おい!」って内容なんだが。。


が、実はその「楯突かれた」事が新鮮で気に入られていたらしく、退職時に
「実は一時期、おまえをひっぱろうとしてたんだよ。」と告白された。
直属のマネージャもスキルフルだったり尊敬していたが、その豪腕マネージャの方が
本質を得たプロジェクトマネジメントを行っていたように思うので、
そっちに行ってたら、いま自分もどういうキャリアを歩んでたか分からない。


プロジェクトの開発プロセスとオフショア開発を取り仕切った際も
上司に楯突きまくった。もちろん、ロジカルに仮説を立てて、だ。
で、リスクが少ない事を説明し倒して、新しいやり方の適用を押し通した。


やっぱり、意思を通じさせて、人を動かしてこそ「コミュニケーション」だと思う。
今回に限っては、自分がその恩恵を受けなくとも、誰かが受けられればいいと思う。


ナレッジ・ワーカーってそういう動き方をしていくものだから。

知識労働者は自らがなすべきことは上司ではなく知識によって、
人によってではなく目的によって規定されることを要求する


組織は知識労働者に対し、その知識を生かすための
最高の機会を提供することによって、初めて彼らを獲得できる

ドラッカーの言葉を送る。
この最たるはGoogleと言う組織か。