コンテンツ?いや、コミュニケーションじゃないか、やっぱ。
しかしそれでも、コンテンツそれ自体が価値を失っていることは否定
できない。
なぜならば、彼らは「アニメ」を楽しんでいるのではなく、
「アニメを利用してコミュニケーションを楽しんでいる」だけだから。
アニメは彼らに対し「私が死んでも代わりがいるもの」と言いたくて
たまらないだろう。
たまにはニコニコから離れて、コンテンツそれ自体を味わうのもいかが
だろうか。コミュニケーションや場の空気を楽しむのも結構だけれど。
誰からも見向きもされない「コンテンツ自体」って、なんだか哀しい
じゃないか。
これはオタクだから云々というわけではなくて、ニコ厨全般に言える。
ニコニコでアニメをネタに楽しんでいる人*3は、たまにはコンテンツにも
目を向けてみると面白いと思う。
それはオタクとしての「劣化」だ
via Thirのはてな日記
http://d.hatena.ne.jp/thir/20080507/p1
確かに「ニコニコ動画」は純粋にコンテンツを楽しむというより、
コミュニケーションを楽しむためのフィールドである。
飲み会などもそれにあたるかもしれない。
味目当てでない限り、酒のうまさなんて結構どうでもよかったりする。
酒という媒介を通じて、コミュニケーションをする事で発生する
そのフィールドが楽しいのだ。
そして、コミュニケーションは加速していく。(飲みすぎなければw)
これは、タバコにも言えるかもしれない。
ある種、特別な「喫煙」という縁を共有する、あの独特のフィールド。
そう考えると渋谷もそういったフィールドになりえている。
秋葉原も下北沢もそうだ。
東京という都市は多様性を抱えるがゆえに、そういった
フィールドをいくつも持っているように思える。
また、サッカーの日本戦が盛り上がって、Jリーグが盛り上がらない
のはそういうフィールドが用意されているか否かなんだろう。
よって、大切なのは本当はコンテンツではなく、
やはりコミュニケーションなのかもしれないと思った。
サッカーが大事なのではなく、盛り上がれるか否か。
2ちゃんねるはそのリアルなフィールドの概念をインターネット
に持っていった。
2ちゃんねるを楽しめる人は、
「コミュニケーションから発生する意外性を含んだコンテンツを
期待しているわけだ。」
そう来るのかよ!
みたいな。三村的な。自己ツッコミ。
だから、そのコミュニケーションを含めて、コンテンツなのかも
しれない。
コンテンツにコミュニケーションが加わり、新しいコンテンツに
なり、進化していく。
これは、匿名であるからこそ、参加性があるからこそ
楽しめるものになる。
これは、インターネットならでは特性である。