デジタルサイネージに対する違和感
昨日Webプロデューサーの方とデジタルサイネージ
について、話している時にある違和感を覚えた。
その違和感とは「デジタルサイネージの導入において、
生活者のアテンションは考慮され、設計されうるか」
という点である。
私は既に生活者のアテンションはキャパシティをオーバーしており、
- 新聞の購読者の減少
- 読書をする人の減少
- TV視聴率の減少
- RSSフィードリーダーが想定以上に浸透しない事
の一因となっているのではないかと思う。
それは生活者が、受け取る情報量や払うアテンション
に対し、無意識に自制をかけているんじゃないかと
仮説を立てている。
もし、デジタルサイネージが実現し、行くところ行くところに
提案型の広告が待ち構えていたらどうだろう?
自分は面倒くさくて仕方がない。
Webサイトもそのようになっていくのではなかろうか。
- あえて広告を表示しないページの提供。
- あえて行動ターゲティングしない。
- デジタルな意識から遠ざけるための意図的なPIP*1の導入。
- 情報量を制限し、スペースをうまく使ったコンテンツ。
- 意図に即したさりげない提案。
置き去りにされているそういった生活者に対する配慮が、
自然と差別化要素になっていく気がする。
*1:Person In Presentation 画面上で人が案内してくれる形式