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元SIerの今はWebビジネス中心なヒトが日々のトピックを綴ります。

 PART 6 DIAGNOSED WITH CANCER


 今から1年ほど前、私は癌と診断されました。
朝の7時半にスキャンを受けたところ、
私のすい臓にクッキリと腫瘍が映っていたんですね。
私はその時まで、すい臓が何かも知らなかった。


 医師たちは私に言いました。
これは治療不能な癌の種別である、ほぼ断定していいと。
生きて3ヶ月から6ヶ月、それ以上の寿命は望めないだろう、と。
主治医は家に帰って仕事を片付けるよう、私に助言しました。
これは医師の世界では「死に支度をしろ」という意味のコード(符牒)です。


 それはつまり、子どもたちに今後10年の間に言っておきたいことがあるのなら
思いつく限り全て、なんとか今のうちに伝えておけ、ということです。
たった数ヶ月でね。
それはつまり自分の家族がなるべく楽な気持ちで対処できるよう
万事しっかりケリをつけろ、ということです。
それはつまり、さよならを告げる、ということです。


 私はその診断結果を丸1日抱えて過ごしました。
そしてその日の夕方遅く、バイオプシー(生検)を受け、
喉から内視鏡を突っ込んで中を診てもらったんですね。


内視鏡は胃を通って腸内に入り、
そこから医師たちはすい臓に針で穴を開け腫瘍の細胞を幾つか採取しました。
私は鎮静剤を服用していたのでよく分からなかったんですが、
その場に立ち会った妻から後で聞いた話によると、
顕微鏡を覗いた医師が私の細胞を見た途端、急に泣き出したんだそうです。
何故ならそれは、すい臓癌としては極めて稀な形状の腫瘍で、
手術で直せる、そう分かったからなんです。
こうして私は手術を受け、ありがたいことに今も元気です。


 これは私がこれまで生きてきた中で最も、死に際に近づいた経験
ということになります。
この先何十年かは、これ以上近い経験はないものと願いたいですけどね。


 以前の私にとって死は、意識すると役に立つことは立つんだけど
純粋に頭の中の概念に過ぎませんでした。
でも、あれを経験した今だから前より多少は確信を持って
君たちに言えることなんだが、誰も死にたい人なんていないんだよね。

天国に行きたいと願う人ですら、まさかそこに行くために死にたいとは思わない。

にも関わらず死は我々みんなが共有する終着点なんだ。
かつてそこから逃れられた人は誰一人としていない。


そしてそれは、そうあるべきことだから、そういうことになっているんですよ。
何故と言うなら、死はおそらく生が生んだ唯一無比の、最高の発明品だからです。


それは生のチェンジエージェント、要するに古きものを一掃して
新しきものに道筋を作っていく働きのあるものなんです。


今この瞬間、新しきものと言ったらそれは他ならぬ君たちのことだ。


しかしいつか遠くない将来、その君たちもだんだん古きものになっていって
一掃される日が来る。
とてもドラマチックな言い草で済まんけど、でもそれが紛れもない真実なんです。


 君たちの時間は限られている。だから自分以外の他の誰かの人生を生きて
無駄にする暇なんかない。


ドグマという罠に、絡め取られてはいけない。
それは他の人たちの考え方が生んだ結果とともに生きていくということだからね。
その他大勢の意見の雑音に自分の内なる声、心、直感を掻き消されないことです。



自分の内なる声、心、直感というのは、
どうしたわけか君が本当になりたいことが何か、
もうとっくの昔に知っているんだ。



だからそれ以外のことは全て、二の次でいい。